第4回「学びに羽根を」2015/2/18掲載

日本の絶景、津堅島のトゥマイ浜を一望出来る穴場スポット“民宿神谷荘”では叔父で偉大なる師匠神谷幸一を筆頭に両親、その兄妹で結成された神谷ファミリーズによる民謡ショーが名物である。

そんな舞台袖、祖母の子守をすり抜けて見聴きする幼子は家族に見込まれ見事グループの看板娘に抜擢、3歳の私である。

 好きこそものの上手なれ通り父の膝上でハネーチャー小(賑やかし曲)、母の腕中で童歌を、近所のオバアから手遊び昔歌を夏夜には涼風と寝転び満天の空へ歌った。思春期には沖縄民謡を好む同世代が一部の理由で恥らいはあったが一節口ずさめばその度笑顔や安らぎを運ぶかけがえのないものへ。

スパルタフリーや多趣味への賛同もありつつ初舞台から早30年、羽ばたき続けられる今がある。人々の備わった分能に気付きと活かす手助けをしてくれる一つが“環境”ではないであろうか。

 家族友人地域の方々、自然さえも先生となりグングン学びに羽根が生えてゆく。環境作りは周りと生すまさにユイマール(助け合い)だ。人との関わりを止め、一人走ーえーゴンゴン孤立化も増える現代だからこそ頑張りすぎず手を取り合って行きたい。

時に無理強いとなる誰かとの背比べや便利品への依存も実は、何気ない長所を見逃すきっかけであったりする。育児仕事、生活に寄り添いトコロを見つけ平凡平穏の環境から“生きる術の大発見その一”となればラッキーだ。


才能がないと寂しい解釈をせず各々に出来る何かは必ず身近にあるはずだ。母譲りのお味噌汁が五つ星食堂に、父との日用大工から世界的美術館を…なんて事も。

大物と言わずとも普通の上等が一番、私は両親や周りが与えてくれた環境に感謝と同時に子供たちに心の目を向け得意発見探知機を作動中。

登下校の車内で流し歌っていた名曲を興味があるのかないのか黙って聴いていた息子がある日全編歌った事に驚いた。未知なる能力は転がり続ける、ストレート・カーブ・スライダーどんな送球もキャッチしよう。明日は旧正月、古き良き時代の先輩談を聞き明るい環境作りのヒントを学ばせていただこう。


神谷千尋(唄者)

神谷千尋「落ち穂」連載アーカイブ

2015年1月〜6月の半年間、琉球新報誌面に掲載された神谷千尋のコラムを記録します。

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