第6回「ストップ!!当たり前化」2015/3/18掲載

 買い物時のスーパー、無邪気な幼子がお菓子を開け散らかし焦り拾う家族の姿、時折遭遇する風景もその日はどこか違っていた。「気にしないでいいよ、お金払えばいいんだから」放れた矢は私の心を突き抜ける。

上の空の帰り道、突然鳴り響いた“昨日落としたアップリグワー今日は拾って食べました。何とも言えないヌーディガサガサ(口中がザラつくよ)喉にかかってカキクケコ”母方の亡き祖母の十八番はいつ誰からかも知らない名もなき歌、あの日の温かな声は物語へと誘う。

 たった一個のアメ玉握りしめ、家路を急げばイタズラにも掌をすり抜ける。夜明け、夢中に見つけた朝日に輝く宝玉ひとつ、慌てて頬張れば砂利と甘いトキメキが少女を包み込む…こんなにも食べ物を尊く愛しく思う事はあっただろうか、自問自答は残念ながらNOだ。

戦後70年の歳月は考え方暮らし方生き方、みるみると便利に都合良く変化を重ねてきた。激動の世をくぐり抜け遥かに幸せと呼べる近年だが、その反面人々の心に翳りを感じている。好きに飲み食べし、お金で自由を買い、そんな当たり前は豊かさをはき違えた。

 

 おじいおばあがよく口にした「食べ物に捨てるところはないよ、大事にカミよー(食べなさい)」。食べ物が無く、ヤーサクリサ(お腹を空かせた苦しさ)の中、必死に生き抜いてきたからこその力強い言葉。亡き祖母のアップリグワの歌もそんな時代に生まれた心情歌なのかもしれない。

 私も子を持つ親、好き嫌いや偏食に悩まされる日々だが、その以前になぜ食べる事が大切で食べられる事が幸せなのかを教えてあげられるような人で在りたいと思う。当たり前の「前」には目には見えない時間や苦労努力があった。その延長線を歩く私たちは感謝を忘れてはならない。

 最近では学校給食に「お金を払っているから我が子に“いただきます”はいらない」と驚きの姿勢をとる者も居る模様、それは純粋な子どもへ発す危険信号だ。頂ける尊さ生きる喜びを味わい噛みしめありがとうで心もお腹もいっぱいにする事こそ食への恩返しであろう。


神谷千尋(唄者)

神谷千尋「落ち穂」連載アーカイブ

2015年1月〜6月の半年間、琉球新報誌面に掲載された神谷千尋のコラムを記録します。

0コメント

  • 1000 / 1000